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アポロンの水浴の木立ちの修復

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「ニンフたちにかしずかれるアポロン」の修復

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木立ち

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木立ち

王妃の木立ち

この王妃の木立ちの前は、有名な迷路があり、その交差する経路部分にはイソップ物語の39の話を、鉛に着色した泉水と動物の姿で演出していました。物語作者シャルル・ペローのアイデアで1669年に建造されたのですが、1775年から1776年の工事で王妃の木立ちが作られた時に姿を消しました。現在の彫刻装飾は19世紀末に作られたものです。

舞踏場

1680年から1683年の間にル・ノートルにより整備されたこの「舞踏場」は、実は「ロカイユの木立」とも呼ばれます。これは硅石とアフリカやマダガスカルの海岸から持ち帰られた貝殻の間を水が流れ、滝を作っているのでこのように呼ばれます。中央にある大理石の「島」は、ルイ14世が得意としていた踊りに使われていました。音楽の演奏者たちは滝の上にいて、向かい側の芝生の覆う円形劇場に観客が座って踊りを見ることができたのです。

ジランドールの木立ち

王太子の木立ちと対をなすジランドールの木立ちは、ルイ16世の頃にサイコロの5の目型に植えられた木立に取って代わるものでした。出来上がって以来その後ほとんど変更は加えられておらず、大蔵卿ニコラ・フーケによりヴォー=ル=ヴィコント城のために注文され、プッサンを手本にしてローマで製作された胸像柱により飾られています。

王の庭園

鏡の泉水は、「愛の小島」あるいは「王の島」(1674) と呼ばれた大きな池の端にあり、ここで軍艦の模型の試験がとりおこなわれました。革命の時期に放置されていた池は、1817年、ルイ18世の命令で建築家デュフールが取り除き、その代わりに王の庭園が作られました。この庭園は英国式の囲まれた庭園でしたが、1999年の暴風雨で珍しい植物の数々が姿を消しました。残っているのは鏡の泉水の跡だけです。

マロニエの間

1680年と1683年の間に作られたこのマロニエの間は、当時は古代の回廊、あるいは水の回廊と呼ばれていて、オレンジの木や剪定されたイチイの木、池及び噴水の並ぶ散歩道が中央にありました。その中央の散歩道に沿って古代の24の彫像が並んでいました。1704年にその全体に手直しが加えられ、その後マロニエの間になり、8つの胸像と2つの彫像が散歩道を飾っています。

列柱廊

ジュール・アルドゥアン=マンサールにより1685年から建造された列柱廊は、1697年にル・ノートルにより作られた泉の木立ちに取って代わりました。柱廊が32本のイオニア式列柱により支えられています。アーケードの間にある三角小間は、 浅浮彫りで装飾を施され、子供たちを表しています。アーチの迫石はニンフとナーイアスの頭部で飾られています。中央にある円形の大理石の台は、ジラルドンにより1678年から1699年の間に製作された「プルトンに連れ去られるプロセルピナ」の群像を支えています。.

円屋根の木立ち 

この木立ちは何度も手を加えられ、装飾によってそのつど名前も変わりました。1675年、ル・ノートルにより設計されたこの木立ちは、1677年から1678年は「ファーマの木立ち」と呼ばれました。それは泉水の中央にファーマ(噂の女神)の彫像が据えられその巻貝から噴水が吹き出ていたからです。1684年から1704年にかけては、アポロンの水浴の群像のために、「アポロンの水浴の木立ち」と呼ばれました。しかし、1677年、ジュール・アルドゥアン=マンサールが円屋根のついた2つの小邸を建造して以来、現在の名前で呼ばれるようになりましたが、この建物は1820年に取り壊されました。

エンケラドス

エンケラドスの泉水は、1675年と1677年の間に、ガスパール・マルシーが鉛で製作しました。題材は、ジュピターが禁止しているにも関わらず、オリンポス山に上ろうとして落下して岩に埋もれたティーターンの話です。彫刻家は岩に体半分呑み込まれた巨人が死と闘っている様子を描いています。