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ドーファン(王太子)とドーフィンヌ(王太子妃)の居室

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ドーファン(王太子)とドーフィンヌ(王太子妃)の居室

これらの居室は、いくつかの階段により上の階の王妃の居室に通じていましたが、常に王家の最も重要な人物に限られてきました。 現在の居室は、ルイ15世の王太子(ルイ、フランス国の王太子)および第2の王妃マリー=ジョゼフ・ド・サックスが住んでいた当時の状態、言い換えると1747年から1765にかけての頃のものです。 ここには、革命が勃発した当時、プティ・ドーファン(王太子の息子で将来のルイ17世)と王女「マダム・ロワイヤル」が住んでいました。

王太子妃の第一の控えの間

この部屋は、礼拝堂のあった場所の一部に対応し、1階と2階を合わせた高さに及んでいました。礼拝堂は1682年に破壊され、その後居室が建造されて、「ラ・グランド・マドモワゼル」と呼ばれたモンパンシエ公爵夫人 (1692年-1693年)、フランス宮廷司祭 (1693年-1706年) 、そして王の衣装の最高責任者 (1706年-1712年)が相次いでここに住みました。1712年、この居室は、ベリー公爵のための衛兵の間にかわりました。1714年7月4日にベリー公が死去すると、この部屋はヴィラール元帥の居室の一部に加えられました。1747年、この部屋は三分の一ほど縮小されて、王太子妃の第一の控えの間になったのです。
部屋を飾っている絵画は、ルイ15世の戴冠式を描いたものです。特に、即位後間もない1716年にイアサント・リゴーにより描かれた若い王の肖像と、1723年にアレクシス=シモン・ベルが描いた戴冠式の衣装をまとった王の肖像が見られます。その他に、ジャン=バティスト・サンテールによるフランス国の摂政フィリップ・ドルレアンの肖像画、またニコラ・ド・ラルジリエールによる2人の高等法院のメンバーの絵があります。ピエール=ドニ・マルタンの2枚の絵は、それぞれ1715年9月12日の高等法院を出る姿と、1722年10月22日の戴冠式後の騎馬行進の模様を描いたものです。

王太子妃の第二の控えの間

当初はここに礼拝堂が作られる予定でしたが、最終的に隣の部屋に建造されました。もともとは4つの部屋に分かれており、1693年まで「グランド・マドモワゼル」の居室の一部でした。その後、「モンセニュール」(殿下)の居室の控えの間、次いでブルゴーニュ公爵の息子の控えの間でした。1712年から1714年まで、ベリー公爵の控えの間、その後、ヴィラール元帥の居室の一部に、そして最後に1747年、王太子妃の第二の控えの間になりました。
扉上には、宮廷大礼服に身を包んだマリー・レクザンスカと一人の公爵夫人の肖像画、及びブラン・ド・フォントネが描いた2枚の花の絵が掛かっています。二階のマリー・レクザンスカの寝室にあったものと思える美しいサランコリン製の大理石の暖炉の上には、 ジャン=ルイ・ル・モワンヌによる摂政の絵があります。

王太子妃の大客間

王太子の居室の続きにある、王太子妃の居室の見学は、通常の部屋の順番とは逆の見学順序となります。つまり、第一の控えの間、第二の控えの間、大客間、寝室、そして内殿の書斎の順序です。大客間は、その広さはルイ14世の息子たちの衛兵の間として使用されていたことの広さに対応し、マリー=ジョゼフ・ド・サックスは近親の夫人たちを招待しておしゃべりや遊戯を行ったのです。居室の他の部屋同様に、彼女のために新たな装飾が施されましたが、19世紀にルイ=フィリップの命令で取り払われました。唯一残されたのはコンソール(テーブル)で、鏡の下に移されて縁の部分が修復されました。未来のルイ16世が1774年に即位するまでいたこの部屋で、コンソールの上には、彼のために製作された晴雨計が載せられていました。壁布は、財産目録で形容されている「火の色」でしたが、そこにはルイ15世治世の最初の頃の大臣と王室家族の肖像画が掛かっています。

ドーフィンヌ(王太子妃)の寝室

ポーランド王アウグスト3世の娘でルイ15世の王太子の妻である王太子妃マリー=ジョゼフ・ド・サックス が、未来の3人のフランス国王、ルイ16世、ルイ18世、シャルル10世を出産したのがこの寝室でした。 1747年に実現された装飾で現在まで残されているものは、ジャン・レストゥーにより描かれた扉上部の装飾のほかに何もありません。元の寝台は、ニコラ・ウルトー作の見事な「ポーランド風」の寝台(4本の柱が皇帝風の天蓋を支えている)に置き換えられました。両側には、王太子妃の義姉妹でルイ15世の娘たち、特に アンリエット王女が植物に、アデライド王女がディアナに扮して描かれています。ジャン=マルク・ナティエ作です。

王太子妃の書斎

この部屋と次の部屋は長い間ひとつの部屋で、まず「ムッシュー」の控えの間、その後「モンセニュール」(殿下)の控えの間、そして1693年に「モンセニュール」の寝室になりました。この部屋はまた、摂政の寝室、その後子供の頃の王太子の寝室でもありましたが、1747年に分割されて、王太子妃の書斎に、そして王太子のための隠れた書斎として使用されました。若い王太子と王太子妃の二人は奥の部屋を通じて行き来していたわけで、夫婦としての親密さが保たれたともいえるでしょう。
自然な「ヴェルニ・マルタン」技法のワニスによる魅力的な木工装飾の一部は現在も残されていますが、その一部はその後に追加され、また扉上の1749年にこの部屋のためにジャン=バティスト・ウードリーが描いた「四季」は取り替えられました。
たんすの製作者はアントワーヌ・ゴードローで、傾斜のある机はベルナール・ヴァン・リーザンブールの作品です。これらの2つの素晴らしい家具は、1745年に最初の王太子妃のために製作されましたが、その後第二の王太子妃も使用しました。
ニッチと呼ばれる、昔は長いすが置かれていた窪み部分の右側に、ガラスの扉があり、書斎の奥部屋に通じていました。