アデライド王女の小部屋
この小部屋は、 ポンパドゥール夫人の赤い漆の小部屋として当時は有名でした。ルイ15世の愛妾は、1750年に王の「友人」となり、後にアデライド王女の居室となる部屋を使用し、そこで1764年に亡くなりました。非常に繊細な家具調度品と王女たちのお気に入りの住まいだったベルヴュー城の思い出と共に、アデライド王女の執務室の修復をみると、ボワーニュ伯爵夫人の言葉を借りれば、「贅沢による豪華さの追求を欲していた」王女であったことが伺われます。
王女たちの居室は、 ドーファン(王太子)とドーフィンヌ(王太子妃)の居室とちょうど対称を成している。後者の居室と同様にこれらの部屋はルイ・フィリップにより博物館に改造されたが、近年修復がなされ、王侯の居室としての華麗な姿を取り戻した。「メダム」(王女たち)と呼ばれていたルイ15世の6人の娘たちが、1752年からここに住んだが、そのうちの2人で未婚のままだったアデライド王女とヴィクトワール王女が革命の勃発までここに居を構えた。
この小部屋は、 ポンパドゥール夫人の赤い漆の小部屋として当時は有名でした。ルイ15世の愛妾は、1750年に王の「友人」となり、後にアデライド王女の居室となる部屋を使用し、そこで1764年に亡くなりました。非常に繊細な家具調度品と王女たちのお気に入りの住まいだったベルヴュー城の思い出と共に、アデライド王女の執務室の修復をみると、ボワーニュ伯爵夫人の言葉を借りれば、「贅沢による豪華さの追求を欲していた」王女であったことが伺われます。
この部屋は、ルイ14世とフランソワーズ=アテナイス・ド・モンテスパンとの間に生まれた息子トゥールーズ伯爵の寝室(1724年~1737年)、パンティエーヴル公爵そしてその息子の寝室(1737年~1744年)、パンティエーヴル公爵夫人の寝室(1744年~1750年)でした。その後、ポンパドゥール侯爵夫人の寝室になり、夫人はここで1764年4月15日に亡くなりました。マリー=ジョゼフ・ド・サックスの寝室になったのが1766年のことでしたが、 王女は居室を構える前に1767年3月13日に亡くなりました。しかし彼女の遺体はこの部屋の遺体安置台の上に置かれ参列者が別れを告げたのです。1767年から1769年にかけてヴィクトワール王女の寝室、その後1769年から1789年までアデライド王女の寝室でした。
木工細工の装飾はおそらく王女のために1766年に製作されたものと考えられますが、例外は扉の上部の縁飾りでこれはポンパドゥール夫人の寝室の装飾を「再利用」したものと考えられます。この枠内にあるのは4枚のナトワールの絵で、絵画、彫刻、建築、音楽を寓意的に表現しています。
アルコーブでは、壁布はアデライド王女の「夏の家具」を思わせ、そこにはルイ15世の肖像画(カルル・ヴァン・ロー作)、ソフィー王女とルイーズ王女の絵(ドゥルエ作)が掛けられています。暖炉の上には、オーギュスタン・パジュー作の、王太子でアデライド王女の兄弟の胸像が飾られています。素晴らしい椅子は、1770年頃にニコラ=キニベール・フォリオにより製作され、元の王の家具調度品に由来するものです。
この部屋を現在の形にしたのも、サランコリン製の大理石の暖炉を取り付けたのもポンパドゥール夫人で した。木工細工の装飾は全て取り払われましたが、アデライド王女のために作られたコーニスは再現されています。小さいオルガンは王女の所有だったと思え、ヴァイオリンは彼女が「素晴らしい演奏を行っていた」ものです。
ナティエが王女の姉たちの肖像画を描いています。バス・ヴィオールを演奏するパルマ公爵夫人エリザベット王女とアンリエット王女で、アデライド王女はこの絵を彼女の大客間に掛けさせました。扉上は、ヴィクトワール、ソフィーとルイーズ姉妹の絵(ドゥルエ作)が掛けられています。暖炉の上は、ルイ16世の姉妹でアデライド王女の姪にあたるエリザベット王女の胸像です。
「射手」と呼ばれたのは、宮殿内の治安を司っていた館の衛兵の着ていたチュニックが「射手の胴衣」であったところに由来しています。この部屋は通常その衛兵が控えていた部屋で、1672年、武具を表した装飾がだまし絵で描かれ、 みせかけの奥まった部分に彫像が置かれました。
ポンパドゥール夫人はこの部屋を分割して2つの控えの間にし、それらはその後、王太子妃、ヴィクトワール王女、アデライド王女に使用されましたが、元のようには修復されていません。
奥まった部分には2つの彫像が置かれています。ひとつは、ボルゲーゼ公のコレクションから来た多色の大理石によるムーア人の彫像、もうひとつは、身体が古代風、頭部と腕がブロンズ製の、ドレープの布をまとった女性像で、17世紀の有名なローマの彫刻家アルガルディの作品です。
天地創造を表す素晴らしい振り子時計は、インドのフランス商館の官長ジョゼフ=フランソワ・デュプレがインドの王子に贈るために注文したものでした。パスマンにより設計され、1754年、ジョゼフ=レオナール・ロックとブロンズ職人のフランソワ=トマ・ジェルマンが製作しました。