19世紀になってヴェルサイユ宮殿は新たな役割をはたすことになりました。1830年にフランス人の王になったルイ・フィリップの意思で、フランスの「全ての栄光」に捧げる「フランス歴史博物館」となったのです。今日、ヴェルサイユ宮殿の幾つかの部屋と回廊に展示されているコレクションは、20世紀の初頭までに集められた作品です。現在、博物館は変貌を遂げており、この点に関して2008年にインターネットサイトが作成されました。
ルイ16世の末の弟で、ブルボン家の最後の統治者でもあったシャルル10世が退位を余儀なくされた1830年の七月革命の後、その従兄弟のルイ=フィリップ・ドルレアンがフランス国民の王となります。新君主は、1833年の決議によってヴェルサイユ宮殿に新たな用途を見出そうという意志を示し、王宮としての地位を排除して宮殿を博物館に変えました。当時真の学問となりつつあった歴史を好んだ彼は、建国以来のフランス史におけるあらゆる出来事や人物が描かれた絵画、彫刻、デッサン、版画などをすべてここに集めようと決めたのです。
そのために、王室・王侯、あるいは個人、 公共機関の古いコレクションを利用し、これを同時代の芸術家たちに作らせた数多くの複製や回顧的作品で補いました。全体の組織は建築家ヌヴーの手に委ねられました。ヌヴーは、数多くの王侯の居室、特に現在もその歴史的回廊が姿を残す、宮殿の2つの大翼の中にあった居室を取り壊さなければなりませんでした。1837年に設立され、「フランスの全ての栄光に」捧げられたこの歴史博物館は、たとえそれがルイ=フィリップにとって1789年以来相次いださまざまな政権の支持者を和解させ、全てのフランス国民の王としての自らの地位を正当化するという政治的野心を反映していたとしても、6000点以上の絵画、3000点を超える彫刻を収蔵する、フランス史の主な図版資料であることに変わりはありません。
博物館の整備はナポレオン3世(1852年 ‐ 1870年)によって完了しましたが、1870年‐1871年の普仏戦争でヴェルサイユ宮殿自体の発展は打ち切られました。1870年9月から1871年2月まで、ヴェルサイユ宮殿はプロイセンに占領され、1871年1月18日には、鏡の回廊でドイツ帝国成立が宣言されたのです。1871年3月にはここに国民議会、パリ・コミューンの間はこれに加えて各省が置かれ、1875年1月30日には第三共和制が可決されました。19世紀末になると、学芸員ピエール・ド・ノラックが、ヴェルサイユ宮殿に王宮としての役割を取り戻そうと努めます。また、コレクションの再編成にも取り組み、ルイ=フィリップが創立した博物館の設備の一部を解体して、コレクションの配置転換に取り掛かりました。さらに、コレクションを充実させる目的で、積極的な購買政策を設定しました。
こうしてルイ=フィリップが創設し、20世紀初頭まで収蔵品が増え続けたヴェルサイユ宮殿のフランス歴史博物館は、大規模な再編成プログラムを開始したヴェルサイユ宮殿の文化活動にうまく組み込まれることとなるでしょう。2008年11月に開設された インターネットサイトは、未来の博物館を暗示しているのです。