ルイ14世の財務総監ジャン=バチスト・コルベールは国の重要な役職をほとんど全て兼務した。彼は完璧な高級官僚として、商・工業の発展、海軍の強化、パリ市街の整備、科学の振興において采配を振るった。国王と緊密な関係を維持し、最も親密な腹心の臣下だった。
16世紀以来国際関係に携わる家系のラシャ商人の息子として生まれたコルベールは、1640年に国家への奉仕に入った。マザランの腹心であった彼は、1661年にルイ14世より大臣に任命され、次第に陸軍省と外務省を除くあらゆる国務を兼任するようになった。財務総監、次いで宮内卿、海軍卿、建築・工芸物監督官に就任。週に5回国王とともに執務にあたり、定期的に連絡を取り合った。
コルベールは、商業に前例のない推進力を与え、1660年代と1670年代には、東インド会社のような商社を設立し、世界各国で王国の影響力を強めていった。特に、ポンディシェリ商館や、後のケベックとなるヌーヴェル・フランスのフランス植民地などが挙げられる。また、建造者として、パリ、特にさまざまな広場やチュイルリー公園などの整備に努めた。1666年の科学アカデミー、次いで翌年のパリ天文台の創立には、科学に熱心であったコルベールが大きく関与している。
後年ややその影響力を失ったものの、コルベールが罷免されることはなかった。コルベールは、ルイ14世にとって数少ない腹心の一人だった。1683年に死去。サン・トゥスタッシュ教会に埋葬された。彼の名にちなんで、国家による計画経済と保護貿易主義を前提とする経済論コルベルティスム(コルベール主義)という言葉が生まれた。