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ラ・グランド・マドモワゼル

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ルイ14世の反抗的な従姉 (1627年-1693年)

アンリ4世の孫娘、ルイ14世のいとこであった「 ラ・グランド・マドモワゼル」は1627年にルーヴル宮殿で生まれ、王家の出来事の数々をつぶさに見て育った。大きな遺産をもつ彼女は、ルイ14世との結婚を望んだ。 フロンドの乱の時、彼女は父親の側について君主権力に対抗した。ヨンヌ地方に引きこもり、宮廷から離れた生活を送ったが。1664年には最終的にその地に居を構えた。

モンパンシエ公爵夫人マリー=ルイーズ・ドルレアンは「グランド・マドモワゼル」と呼ばれていたが、それは彼女の父親のガストン・ド・フランスがルイ13世の弟であるため「グラン・ムッシュー」と呼ばれていたことに由来している。権力を求めた彼女は、11歳年下の若いルイ14世との結婚を望むが、その目論見はマザラン枢機卿による強い反対にあって挫折した。

民衆の不満がきっかけで1648年にフロンドの乱が起こると、彼女は絶対王政と対立する父親の側についた。1652年7月2日、彼女は自ら率いる隊に、バスティーユ城砦から王党軍に向かって砲撃するよう命令した。このことが幸いし、自分の結婚相手にと望んでいたコンデ公の命が救われた。国王の怒りを買ったグランド・マドモワゼルは、ヨンヌ地方サン=ファルジョーの彼女の領地に長い間追放されることとなった。

1657年に宮廷に呼び戻された彼女は、回想録を書き始めるが、これは王室の生活を証言するものとして歴史家にとって今も貴重な資料となっている。しかし、1660年にはユー城を手に入れ、ヴェルサイユからまた遠ざかった。彼女はこの城の改修と室内装飾に心血を注いだ。城に飾られた絵画の数々に彼女の芸術愛好がよく表れている。イタリア語の習得を望んだ彼女はヴェルサイユにフィレンツェ出身の青年ジャン=バティスト・リュリを呼び寄せた。彼は後に宮廷楽長となった。1664年、グランド・マドモワゼルは二度と宮廷を離れるまいと決意した。

1680年代、ローザン公爵との不幸な結婚の後、彼女は熱心に信仰を仰ぐ晩年を送った。1693年に亡くなると、遺骸はサン=ドニ教会のフランス王家の地下納骨堂に収められたが、この納骨堂はフランス革命の際に荒らされてしまった。