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アクセル・フォン・フェルセン

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マリー=アントワネットの秘密の聞き役 (1755年-1810年)

スウェーデン伯爵アクセル・フォン・フェルセンは、マリー=アントワネットと特別な関係を持っていたことで有名である。彼はまたアメリカ独立戦争で軍事的な武勲により政治的に重要な役割を果たし、特に革命時に王家を強く擁護した。

アクセル・フォン・フェルセン伯爵がマリー=アントワネットに初めて会ったのは、1774年にオペラ劇場で開かれた仮面舞踏会でのことだった。その時のことを鮮明に覚えていたマリー=アントワネットは、それから四年後にフランス宮廷で二人が再会したとき、「彼は昔からの知り合いよ!」と叫んだのだった。彼はヴェルサイユ宮殿に移り住むと、早くも1779年に王妃の取り巻きの中に加わり、王妃の寵愛を受けるようになる。その後伯爵はアメリカ独立戦争の際、1780年にドイツ歩兵隊の連隊長の地位を得る。 彼はアメリカから帰国すると、王妃とスウェーデン王グスタフ3世のとりなしにより、1783年にスウェーデン王室連隊の連隊長に任命される。その後、彼は宮廷と連隊との間を行き来する生活を送った。

このスウェーデンの伯爵と王妃の関係の真相についてはいろいろなことが語られてきた。彼らが愛人関係を持っていたことは歴史的には証明されておらず、その謎が数多くの伝説を 生んできたのだった。しかしながら、彼らの内密の手紙には彼らの感情がはっきりと見られ、伯爵とその身近な人々との書簡にもそれが読み取れた。アクセルは妹のソフィー・ピパーに宛てた手紙にこう書いている。「一生結婚しないと決めた。それは自然に反することだ…本当に愛している人以外と結ばれることはできない…だから誰とも結ばれたくない」

フランス革命の嵐が吹き荒れ始めた頃、王妃の取り巻きはひとり、ふたりと消えていった。唯一残ったのは忠実な助言者がフェルセン伯爵だった。彼は1791年にルイ16世一家のヴァレンヌへの逃亡を画策した。また、外国の君主と協力して外交的介入を行いながら、あらゆる手段で彼らを救おうを試みた。マリー=アントワネットが1793年にギロチンにかけられ亡くなったという知らせを受け、フェルセン伯爵は深い悲しみに沈んだ。「これで私はこの世で持っていたすべてのものを失った。(...) 私がこの上なく愛した女性、貴方のためなら私の命を千回でも捧げただろうに…そんな貴方はもういない」彼は1810年にスウェーデンで死去した。