スイス人で銀行家としての実績により巨大な財産を築きあげたジャック・ネッケルは、財務長官としての経歴で知られている。緊縮財政と出費削減の政策をうちだし、さらには財務改革を行った。王からの罷免と再登坂を繰り返したが、1970年最終的に政治の世界から身を引いた。
1776年にチュルゴーが失脚した後、ルイ16世は、ネッケルを財務長官に任命した。ネッケルは当時、「コルベールへの賛辞」についての演説で、アカデミー・フランセーズの弁論賞を受けたことで知られていた。彼は、国家の財政支出を削減するための様々な策を講じるが、自身の財務政策を主張した国王への報告書が公開されて批判を受けたため、1781年に辞職、サン・トゥアンの城に引退する。
しかし1788年にルイ16世によって財務長官職に呼び戻され、大臣および王の閣議のメンバーに任命された。 ネッケルは、財政管理を続けながらも、より政治色の強い活動を行うようになり、メンバーが亡命中であったパリ高等法院を再召集し、全国三部会の開催を提案した。フランスを襲った穀物不作による深刻な経済恐慌に対処するために保護政策をとったネッケルは、穀物の輸出と市場外での穀物の購入を禁止する。しかしネッケルは、三部会の難局を解決する方法を見出すことができず、また彼の計画が阻止されたため、1789年6月23日の王の閣議への出席を拒否し、ルイ16世により罷免される。
その後1789年7月に国王から三度目の任命を受けたネッケルであったが、その政策は受け入れられなかった。このため1790年9月に辞職し、故郷に引退して著述に専念しながら家庭での生活を送り、1804年にこの世を去った。