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カンパン夫人

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マリー=アントワネットの最初の侍女 (1752-1822)

マリー=アントワネットの最初の侍女だったカンパン夫人は、ルイ16世の時代における宮廷生活の歴史的証言といえる回想録の作者として知られている。側近として見た回想録は、王妃の親密な世界へ私たちを導き、その人となりについてあらたな光を当ててくれるものだ。しかし、記述内容の信憑性に関しては現代の歴史家から疑問が投げかけられている。

将来のカンパン夫人ことジャンヌ=ルイーズ=アンリエット・ジュネは、文学教育を受けイタリア語と英語を学び、ルイ15世の末娘たちの朗読係りとして15歳でヴェルサイユの宮廷入りを果たした。その後1770年にマリー=アントワネットがヴェルサイユの住人になると、若い王太子妃の第二侍女に任命される。それから16年後の1786年、カンパン夫人は正式に王妃主席侍女として任命され、マリー=アントワネットからは会計係、そして宝石の管理係の任務も任された。

カンパン夫人は、すぐに王妃の友人かつ相談役として絶大な信頼を得ることとなり、その後18年間にわたって宮廷生活の内側や秘密を王妃と共有した。そして、ルイ16世の時代の宮廷生活を描いた一大絵巻ともいえるような回想録を残したのだった。その中で夫人は、王妃の生活や人物像を描写し、とても主観的で私的な立場から宮廷での出来事を書き綴っている。フランス革命勃発後、夫人は王家の家族と距離を置いたが、王妃との手紙のやり取りは続けた。革命によって破産した夫人は、その後最初の職業である教育者としてやり直し、サン=ジェルマンに名家の子女のための寄宿学校を設立。カンパン夫人はナポレオンの妹二人の教育も担当したが、そのナポレオンに認められることとなり、1807年に皇帝によってエクアンに位置するレジオン・ドヌール教育学院長に任命された。夫人は1814年までこの役職を維持したが、ブルボン家の復権により再度後ろ盾を失うのだった。