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マダム・ロワイヤル

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ルイ16世とマリー=アントワネットとの第一王女 (1778年-1851年)

ヴェルサイユで生まれたマリー=テレーズ・シャルロット・ド・フランスは、「マダム・ロワイヤル」と呼ばれていたが、ルイ16世とマリー=アントワネットの第一王女だった。宮廷で幼年期を過ごし、王の子供たちのなかで唯一、フランス革命を生き延びた。革命により幽閉生活を送り、その後亡命を余儀なくされ、王位継承者として1824年にはフランスの王太子妃になり、最後まで君主制に執着した。

マダム・ロワイヤル、または「ムスリーヌ」(母マリー=アントワネットが彼女を呼んだ名前)は、1778年に生まれたその日に、ヴェルサイユ宮殿の礼拝堂にて洗礼を受けた。その数年後1793年には、両親が革命派によってギロチンに処された。マリー=テレーズ・シャルロットは処刑を免れたが、幽閉の身となった。思春期には牢獄で、王の妹である叔母エリザベット王女の死、次いで弟ルイの死を知らされた。1795年、オーストリア軍が彼女を解放。孤児となった王女は、ウイーンの皇帝フランツ2世の宮廷で暮らすこととなった。

1799年には、ルイ16世の弟で後にシャルル10世となる叔父の息子、従兄弟のルイ・アントワーヌ・ダルトワとラトビアで結婚し、アングレーム公爵夫人となった。王政復古により、ようやく1814年に故国フランスへの帰国がかなった。ルイ16世の弟であるルイ18世が国王として統治。1824年にルイ18世が崩御し、一番下の弟のシャルル10世が即位すると、ルイ・アントワーヌ・ダルトワが王太子となった。マダム・ロワイヤルは、長い亡命生活の果てに事実上フランス王太子妃となった。

「しかし、それも長くは続かなかった。1830年に勃発した革命により「7月王政」が始まり、オルレアン家のルイ=フィリップが国王となった。正統王朝派であったアングレーム公爵夫人は、再びフランス国外に亡命。1836年にシャルル10世が亡くなると、ルイ=フィリップの王位継承に抗議する正統王朝派にとっての『フランス王妃およびナバラ王妃』 となった。

公爵夫人は1815年にはナポレオン・ボナパルトに対し王政を強く擁護した人物であったが、1851年、第二共和制の大統領ルイ=ナポレオン、後のナポレオン3世によるクーデターが勃発する2ヶ月前に、ウイーン近郊で亡くなった」