発見する
宮殿
庭園
大トリアノン
マリー=アントワネットの離宮
便利
Acheter son billet
Infos Pratiques
Plan Interactif
Calendrier des événements

マリー=アントワネット

Partager

章を印刷する

フランス王妃 (1755年-1793年)

兄の皇帝ヨーゼフ2世が「愛すべき誠実な女性」と形容した、オーストリア皇女でルイ16世の王妃マリー=アントワネットは、ヴェルサイユの歴史の中で、最も魅惑に満ちた人物の一人である。宮廷の娯楽と準備に没頭しつつ、宮廷人に囲まれながら、立場上は出なくてはならない公的儀式には気が進まなかった、そんな王妃に対する人々の反感が次第に高まり、ついにフランス革命で悲劇的な最期を迎える。

マリー=アントワネットは、神聖ローマ皇帝フランツ1世(ロレーヌ公)と、ハプスブルク家のマリア=テレジア(オーストリア大公)の娘として、1755年11月2日にウィーンで生まれました。 1770年5月16日に行われたマリー=アントワネットと未来のルイ16世との結婚は、フランス - オーストリア同盟の立役者の一人であった大臣のショワズールによる成果でもあった。 しかし、数年にわたる対オーストリア戦争を経ていたため、世論にはこの両国の結びつきに対するためらいがあった。結婚式の日は、ヴェルサイユ宮殿のオペラ劇場が完成した日でもあったが、数年後、この場所でマリー=アントワネットは、愛人とされているアクセル・フォン・フェルセンと出会うことになる。

宮廷の王妃
ルイ16世は、宮廷生活を快適にすることを王妃に任せた。娯楽を好んだ王妃は、週2~3回の頻度で芝居の上演を行ったり、大舞踏会を復活させる。また平和の間で宮廷の娯楽を催してビリヤードやカード遊びに熱中し、音楽好きだったことからハープの演奏も行った。芸術を愛した王妃は、家具職人で御用商人でもあったリーズネルや、画家のエリザベート・ヴィジェ=ルブランを庇護した。ルブランは王妃の保護によって肖像画家としての地位を確立し、約30点もの王妃の肖像画を描いた。王妃は服飾にも多くの時間を費やし、 ドレスについて、デザイナーで仕立て屋のローズ・ベルタンに頻繁に意見を求めていた。そして髪結師レオナールは羽飾りを多く使った髪型を考案し、王妃はこうした髪型を好むようになる。