ルイ14世の孫アンジュー公爵が、1700年、スペイン王フェリペ5世になった。 オーストリアのハプスブルグ家にブルボン家が取って代わった。 フランスとの新たな戦争の火種となった。
継承者のいなかったスペイン王カルロス2世は、大甥であったアンジュー公爵を王位継承者とすると遺言を残した。この遺言は彼の義理の兄弟であったルイ14世によって11月12日に承認された。長い間迷った末の決断であった。アウクスブルク同盟戦争から3年しか経っておらず、ルイ14世は、オーストリアとその同盟国との新しい戦争を恐れていた。ルイ14世と同様、皇帝レオポルト1世もスペインの王位と関係があったのである。
1666年、レオポルトはマルガリータ=テレサ王女と結婚。この結婚は、マルガリータの姉マリア=テレサ(マリー=テレーズ)とルイ14世の間に1660年に結ばれた婚礼に対抗する目的があった。彼女らの父であるフェリペ4世が1665年に亡くなると、将来が不確かな虚弱で癲癇持ちの王子カルロス2世に王位が継承された。1700年11月1日にカルロス2世が亡くなる日まで、次の継承者についてあらゆる憶測が飛び交った。それはヨーロッパの大国の間では重要な外交問題とまでなっていた。フランスとオーストリアにはそれぞれスペインの王位継承権を主張する正当な理由があった。各大国が自分の陣営を選ぶこととなった。
それは大きな賭けであった。スペインの王位だけでなく、カール5世が呼ぶところの「決して陽が沈まない帝国」が賭けられていたのだ!ヨーロッパでは、ナポリ王国とカトリック教徒のオランダ(現在のベルギー)がこの帝国に属していた。カルロス2世の後継者の選択にはヨーロッパの均衡がかかっていたのである。ルイ14世の不倶戴天の敵であった皇帝レオポルト1世は、自分の権利を放棄するつもりなど全くなかった。長い間迷い続けたカルロス2世は、その死ぬ間際、アンジュー公を選ぶという決断を下した。
当時17歳であったフィリップ・ド・フランスは、ルイ14世の息子、「モンセニュール」(殿下)と王太子妃マリー=アンヌ=ヴィクトワール・ド・バヴィエールの間に生まれた2番目の息子であった。彼は、祖母のマリー=テレーズ王妃と曾祖母アンヌ・ドートリッシュからスペインの血を引いていた。1700年11月16日、ルイ14世は鏡の回廊で新しいスペイン王を公式に人々に披露した。彼が新しい王に願ったのは、良きスペイン人となること、しかし同時にフランスで生まれたことも忘れないこと、そして2つの国の結びつきをそのまま保持することであった。しかし残念ながら、常にそうはならなかったのである!それでもフィリップは、オーストリアが始めたスペイン継承戦争において、祖父の同盟であり続けた。戦争は1713年に終結し、ユトレヒト条約により、ブルボン家によるスペイン王位継承が最終的に認められたのである。