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歴史重要な日

1717年 ピョートル大帝の訪問

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1717年5月24-26日~6月3-11日

1689年、皇帝の座についた ピョートル大帝(1672年-1725年) は、ロシアの近代化に拍車をかけた。彼を魅了してやまない国、それはフランスだった。彼がフランスを訪問したのは1717年、 摂政が仏露の親善を希望したのがきっかけだった。その時の訪問先にヴェルサイユも加えられた。

ピョートル大帝は5月7日から6月20日までパリに滞在した。彼のパリ訪問には、政治的かつ芸術的な目的があった。ピョートル大帝は、1703年に新しい都市、サンクト・ペテルブルクの建設を開始していた。1709年にウクライナのポルタヴァにてスウェーデン軍を破って以来、ロシアはヨーロッパの列強の一つとなっていた。ピョートルはロシアが外交的に一目置かれることを求め、かつ、西欧の新しい潮流を見聞することを希望していた。

初めルーヴル宮殿に滞在していたピョートル大帝は、結局パリで最も豪華な邸宅の一つであるレディギエール邸に滞在することになった。1ヶ月以上に渡って彼はパリとその近郊を訪れた。ヴェルサイユは正に彼の見たい場所であった。5月24日から26日まで、彼はブルゴーニュ公爵の小居室に滞在し、その後6月3日から11日までは森のトリアノン(トリアノン・スー・ボワ)翼棟に滞在した。ピョートル大帝のお相手として若い娘たちも敬虔なマントノン夫人の居室に滞在していたが、これはヴェルサイユの街を治めていたブルアンにとっては承諾しがたいことであった。ピョートル大帝の案内をしたのは、王用建築物監督官であったアンタン公爵であった。

5月25日の朝、ピョートル大帝は大水路に船を浮かべ、動物園、次いで、トリアノンを訪問した。彼はあれこれと観察し、サンクト・ペテルブルクで再現したいと思うものをメモした。素晴らしいヴェルサイユ宮殿の他に彼がとりわけ心に留めたのはヴェルサイユの街の都市計画であった。彼は後に、サンクト・ペテルブルクの街に、市松模様の町並みと3本の大通りを再現することになる。パリに欠けている幅広い通りの良さも心に留めた。彼の目には、パリは汚くて窮屈な、あきれるほど小さな首都として映ったのであった。

1716年に、フランスからジャン=バティスト=アレクサンドル・ルブロン(1679年~1719年)率いるフランス人芸術家の代表団の訪問を受けていたピョートル大帝は、なおさらヴェルサイユでの滞在を喜んだ。ル・ノートルに学んだルブロンは、ピョートル大帝の居城にヴェルサイユとマルリーの噴水を再現した。装飾彫刻師ニコラ・ピノー(1684年~1754年)も随行した。マンサールの下で働いていた彫刻師の息子である彼は、フランスのロカイユ様式をペテルゴフ宮殿などのロシアの宮殿にもたらした。ピョートル大帝はヴェルサイユの他にも、パリ近郊にある美しい居城の数々を訪ねた(マルリー、ソー、ムードン、プチブール)。

ピョートル大帝の訪問は外交的にも実り多いものであった。交渉は難航したが、フランスとロシアは8月15日にアムステルダムにおいて初の協定を結んだ。2世紀に渡る友好関係の始まりであった。