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歴史重要な日

1777年 オーストリア君主ヨーゼフ2世の訪問

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1777年4月18日~5月30日

オーストリア皇帝ヨーゼフ2世は、 妹のマリー=アントワネットの放蕩生活と王との夫婦仲の問題を聞きつけ、ヴェルサイユの訪問を決心した。彼はまた聡明な君主として、フランス王国を自分の目で確かめたいという好奇心をもっていたのである。

皇帝は前々からフランスを訪問したいと望んでいた。バイエルン編入の野望に対する支援を得るために、義理の弟であるルイ16世に一刻も早く会いたいと願っていた。パリとヴェルサイユを自分の目で見ることもその願いの一つであった。1777年、パリのオーストリア大使であるメルシー=アルジャントーは、マリー=アントワネットがますます非難を浴びる状況に置かれているという情報を彼にもたらす。マリー=アントワネットは責任あるフランス王妃としての行動からはほど遠い行動をとっていた。

結婚式から7年経った今も、ルイ16世とマリー=アントワネットは夫婦としての床入りを果たしていなかった。王は包茎だったため夫婦の契りを結ぶことができず、王妃は夫婦の床から遠ざかっていた。王妃は退屈を紛らわすために様々な余興や遊びにふけった。妹を気遣う兄として、また、心配する母親の女帝マリア=テレジアにせき立てられて、ヨーゼフ2世はこうした状況を改善したいと思っていた。

皇帝ヨーゼフ2世は4月19日にヴェルサイユに到着した。自由に行動できるようにと、ファルケンシュタイン伯爵という偽名を使って街の質素な宿屋に宿泊した。7年ぶりに会う兄を迎えて喜ぶマリー=アントワネットは、ルイ16世との私生活について彼に打ち明けた。ヨーゼフ2世は、その告白に耳を傾け、愛情のこもった言葉をかけて妹を安心させた。兄として気遣いつつも、彼は妹の生活を注意深く観察し、その目は何も見逃さなかった。初めは冷たくよそよそしかったルイ16世も、ヨーゼフ2世に次第に信頼を寄せるようになり、今度はルイ16世が彼に心を打ち明けるまでになった。

ヴェルサイユはこうして告白の場となったが、パリは発見の場であった。皇帝は全てを見、全てを知りたがった。彼はその気取らない人柄でパリでの人気者となった。ヴェルサイユではパリのような愉快な気分ではいられなかった。5月9日、ヨーゼフ2世はとうとう妹のマリー=アントワネットに説教をした。その後、兄の言葉はまた和らいだものに戻った。5月30日、皇帝はヴェルサイユを後にした。彼はマリー=アントワネットに、妻として王妃としての務めについての「意見」を手渡した。彼はマリー=アントワネットに王に対する態度を改めるよう約束させ、王には手術を勧めた。彼の訪問はこうして実を結んだ。8月18日には夫婦の床入りが果たされ、1778年12月には二人の最初の子供、マダム・ロワイヤルが誕生した。ヨーゼフ2世は1781年にも再びヴェルサイユを訪れ、その際にマリー=アントワネットは兄のために小トリアノンでの祝宴を用意した。