ローアン枢機卿は再び愛顧を得たいがために王妃に高価な首飾りを贈ろうとするが、王妃はそれを拒絶した。しかしその王妃は本当の王妃ではなかった...。国を舞台にしたスキャンダルが暴露された。
フランス宮廷司祭であったロアン枢機卿は、大使として赴いていたウィーンから戻って以来、王妃の寵を失っていた。マリー=アントワネットは母の助言を受けて、卑猥な振る舞いをするこの枢機卿を自分の側近たちに近づかせないようにしていた。王妃の信頼を取り戻そうと枢機卿は躍起になった。枢機卿の側近の中に、王妃の友達だというラ・モット夫人なる人物がいた。この女は山師で、自分がヴァロア家の子孫だと名乗っていた!彼女は枢機卿に王妃の寵愛が戻ることを約束し、1784年8月11日、王妃の木立ちで、闇夜にまぎれた偽りの密会をお膳立てした。マリー=アントワネットに扮した女が枢機卿を慰め、元気づけると、ロアン枢機卿は舞い上がらんばかりに喜んだ!
王室御用達の宝石商ベーマーとバッサンジュは数年前から540個のダイヤモンドからなる豪華な首飾りを売りたいと望んでいた。1782年にルイ16世にこの首飾りを勧めたところ、王妃はそれを断っていた。160万リーブルという法外な値段だったからである!ラ・モット夫人は枢機卿にこのことを話した。枢機卿は、王妃が4回に分けて2年間で支払ってくれるなら喜んで王妃にこの首飾りを献上するつもりであった。宝石商は買手がようやく見つかって喜んだ。宝石商は1785年2月1日に枢機卿にこの首飾りを渡すと、枢機卿はそれをラ・モット夫人に預けた。ラ・モット夫人は共犯者と共に姿をくらました。
ベーマーは7月12日、王妃に首飾りのことを暗示する手紙を送った。王妃はそれを真に受けず、破棄してしまった。何の返事もないことをいぶかしく思い、宝石商は8月に支払いの件をまた持ち上げた。宝石商は、侍女のカンパン夫人に対し、宝石の全額が支払われていないことに驚いていると告げた。カンパン夫人から宝石商の用件を聞いた王妃は、この件の解明を求め、事件が明るみに出た。8月15日、王室礼拝堂でミサを上げる前に、ロアンは王から呼び出しを受けた。王の執務室から出た彼は、鏡の回廊において、驚く廷臣たちの見守る中逮捕された。スキャンダルの噴出であった。
枢機卿は1786年5月にパリの高等法院において裁判にかけられ、一切の期待に反して無罪となった。ラ・モット夫人とその共犯者たちは逮捕され、裁判にかけられた。彼女には赤く焼いた鉄で「泥棒」を意味する「V」の文字の焼印が押された。王妃に非はなかったが、罪をかぶったのは最終的に王妃となった。スキャンダルなのは王妃だ!嫌っていた枢機卿を追い払うのが目的だったのだ、と。王妃の不評判は頂点に達していた。