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歴史重要な日

1789年 国王の出奔

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1789年10月6日

5月にヴェルサイユで始まったフランス革命は、10月に王の出発により第一幕の幕が下りた。王の居城としての一世紀にわたるヴェルサイユの神話は終わった。王国の首都がパリに戻った。フランス歴史の一ページが終わったのだった。

5月に全国三部会が開催されて以来、人々の士気は高まっていた。7月14日にはバスティーユ襲撃が起こり、熱気が高まる風潮の中、10月1日にオペラ劇場で開かれたフランドル連隊の祝宴は君主政治の最後の挑発のように人々の目に映った。

衛兵たちは新しいフランドル連隊の到着を祝って歓迎宴会を開催することを決めた。オペラ劇場の地上階席部に置かれたテーブルに210人分の料理が盛大に準備され、ワインが水のように飲まれた。喝采によって出迎えられた王家の家族のために乾杯の音頭が取られ、グレトリの「おおリチャールよ、おお我が王よ」がオーケストラによって演奏された。そして王家の家族が地上階に降りたのだった。この王政に忠実な者たちの騒々しい催し物が首都の市民たちの怒りに火をつけた。新聞は祝宴を乱痴気騒ぎとこき下ろし、三色記章が踏みにじられたとまで伝えた。中には三色記章を裏返し、王を象徴する白い面を見せていた者もいた。人々が飢えている中でこのような贅沢な祝宴を開くことはあまりにも度が過ぎていた!そんな中、マラー、ダントン、デムーランらがヴェルサイユ宮殿に向かって行進することを呼び掛けたのである。

10月5日、幾人かの男性に付き添われた女性たちの行列が宮殿へとやってきた。同じ頃、王はムードンで狩猟中で、王妃はトリアノンを散歩中であった。行列の知らせがヴェルサイユを駆け抜け、宮殿の格子門は閉められ、警告を受けた王妃は居室に避難した。狩猟から戻ったルイ16世はラファイエットに防衛を託し、ラファイエットによってアルム広場に警備が敷かれた。行列は雨でずぶ濡れになりながら午前0時30分に宮殿に到着したが、宮殿内に侵入したのは朝6時になってからのことだった。群集は、王子の中庭の格子門をこじ開け、王の中庭から王妃の居室へと侵入した。はっと目を覚ましたマリー=アントワネットは、王太子の部屋に駆け下り、王の居る場所まで避難した。 大理石の中庭を埋め尽くした群集は、国王らが姿を現すよう要求した。ルイ16世は彼らにパンを与えること、そしてパリに出向くことを約束した。

1時25分、国王一行はヴェルサイユ宮殿を後にした。群集はパリへの道のりで「パン屋の主人、パン屋の女房、そしてその小僧」を連れて来たと叫んだ。宮殿に戻ってくることを疑わなかったルイ16世は出発の際、彼のために「不憫なヴェルサイユ宮殿を守る」よう陸軍大臣ラ・トゥール・デュ・パンに要請した。しかしながら、彼がヴェルサイユに戻ることはなかった。 ヴェルサイユ宮殿はこうして王宮ではなくなったのだった。