教皇ピオ7世は、1804年12月2日ノートルダム大聖堂でのナポレオンの聖別式のためにパリに来て、翌年の4月まで滞在した。教皇はフランス国王の旧居見学を望んだ。1月、ヴェルサイユ宮殿には多数の人々が一目見ようとつめかけた。
ピオ7世は1805年1月3日に到着した。朝パリを出発した教皇は、セーヴルに立ち寄った際にセーヌ=エ=オワーズ県知事モンタリヴェと県当局者に迎えられた。教皇の旅には8頭立て馬車が使用され、皇帝の6頭立て馬車2台が先導を務めた。 一行は、11時頃にパリ通りに差しかかると、ヴェルサイユ市長ペティニーと市議会のメンバーの出迎えを受ける。市の大砲と鐘の音が鳴り響く中、教皇はサン=ルイ大聖堂へと向かった。政教条約(コンコルダート)が締結された1802年以来、ヴェルサイユは一つの司教区になっており、その最初の司教、ルイ・シャリエ・ド・ラ・ロッシュ猊下が大聖堂前の広場で教皇を迎えた。司教は荘厳な儀礼に従って歓迎の演説を行い、ヴェルサイユ市と周辺の住民たちがこぞって、この出来事を一目見ようと集まった。
ピオ7世は大聖堂の主祭壇で最初の祝福を授け、聖歌隊が「あなたはペテロ」という歌を歌った。そして教皇は、祭壇の前の祈祷台で司教の聖体降臨式を見守った。次に教皇は祭壇の右側に用意されていた高座に向かい、聖職者の足元に口づけした。司教区に案内された教皇は、市議会のメンバーと軍隊と接見する。
教皇は、ヴェルサイユ宮殿の中庭と水庭で大群衆の歓迎を受けた後、宮殿内の訪問の前に王の小居室でしばし休息を取った。鏡の回廊には500人を超える人々が、通り過ぎる教皇をひれ伏して迎え、三重冠を戴いた教皇が差し出した指輪に接吻した。回廊の中央に達した教皇は、宮殿前に集まっていた群集を祝福し、人々はひれ伏して祝福を受けた。教皇はルイ14世の庭園におけるこうした光景に感動し、「本当にこのようなフランスの人々が不信心者と思われていたのだろうか?」と驚きを表現した。教皇は宮殿の外に出て、オランジュリー、庭園、そしてトリアノンを見て回り、その後司教区に戻った。
教皇は、ヴェルサイユを出発する前に慣習に従って一人で昼食を取り、その間、随員や市当局者は司教に招かれた。16時頃にヴェルサイユを出発した教皇は、市の外れまで市長に見送られ、街を後にした。教皇はパリに戻る前に、セーヴルの磁器工場に立ち寄ってその日の行程を終えた。