1870年の普仏戦争の敗戦と侵略を背景に、ビスマルク首相が鏡の回廊でドイツ帝国誕生を宣言した。ルイ14世及びナポレオン1世による屈辱に対する報復であったといえる。
1870年7月19日、フランスはプロイセンに宣戦布告するが、9月2日にはスダンで降伏。プロイセン軍はフランスを侵略し、9月19日にはパリを包囲し、ヴェルサイユに最初の軍隊が到着する。10月5日、ヴィルヘルム1世とビスマルクは市内にとどまり、ヴェルサイユ宮殿にてドイツ帝国樹立宣言の準備を行った。
1860年の中頃から、プロイセンはオーストリアおよびデンマークとの戦いの結果強大化し、プロイセンの領土はライン川からロシアに及んだ。宰相ビスマルクは、プロイセンを主体に他のドイツ諸邦を連邦にまとめ、オーストリア・ハンガリー帝国に対抗する一帝国を結成しようと試みた。フランスとロシアの中間に位置する、新たなヨーロッパの中心的国家になろうとしたのである。こうして彼は、南ドイツ諸邦を除く、プロイセンと北ドイツ諸邦からなる北ドイツ連邦を成立させることに成功した。最終的には、1870年11月にヘッセン、バーデン、次いでバイエルンとビュルテンベルクが連合。バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、実はヴェルサイユ宮殿で他のドイツ諸侯との連合を拒否していた。ヴェルサイユ宮殿という場所と、ルイ14世への敬愛心からだろうか? いずれにしても、弟のオットーが代わりに交渉を行った。ドイツ統一宣言に向けての交渉へと突入することになった。
1870年12月16日、北ドイツ連邦議会代表団がヴェルサイユ宮殿に到着。プロイセン国王に、ドイツ皇帝の称号を受け入れるよう懇願した。同月20日には連邦が解体された。1871年1月18日に鏡の回廊でドイツ帝国成立宣言が行われることになり、宗教儀式のために中央に祭壇が設けられ、ルイ14世の玉座が置かれる場所とは反対側の、戦争の間側に壇が設置された。当日、600人の将校とドイツ諸侯全員が出席したが、ルートヴィヒ2世の姿は見られなかった。テ・デウムの後、胸甲騎兵の制服に身を包んだビスマルクが宣言書を読み上げた。これが終わると、バーデン大公が「ヴィルヘルム皇帝陛万歳!」と叫び、「万歳!」の歓声が一斉に鳴り響いた。宰相は、ライン川を越えたルイ14世の勝利を讃えるル・ブランの絵画が飾られたこの場所で、自らの夢を実現させたのたった。またこれは、1806年のイエナ敗戦に対する報復でもあった。ドイツ人はその後間もなく、敗戦国フランスの議員たちにその席を譲ることになる。