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歴史重要な日

1919年 ヴェルサイユ条約

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28/06/1919

悲惨な4年間の戦いの後、第一次世界大戦は1919年、ヴェルサイユで幕を閉じた。 一方にとっては「和平」であり、他方にとっては「独裁的」だったこの条約は、20年後の第二次大戦への火種を含んでいた。

ドイツ帝国樹立宣言から約半世紀を経た1919年6月28日、鏡の回廊において敗戦国ドイツが講和条約に調印し、クレマンソーはドイツに対する報復を成し遂げた。第一次世界大戦の終結である。調印のための席は、この広間の中央の、ライン川を越えるルイ14世を描いた象徴的な作品が飾られた場所に設けられた。調印にかかった時間は45分間で、この荘厳な瞬間を祝うための典礼も音楽もなかった。32の列強諸国の代表者27名が調印式に出席し、連合国の4名の代表者(フランス代表クレマンソー、米国代表ウィルソン、英国代表ロイド・ジョージ、イタリア代表オルランド)が席に就いた。ドイツ代表団のメンバーは、外務大臣のミュラーとベル博士であった。

条約締結のための交渉は難航した。この条約に向けての準備として、1月18日からパリで講和会議が開かれたが、ドイツは会議から排除され、連合国主導で討議が行われた。しかし連合国間でも合意に達することがなく、フランスはドイツの脅威を永久に排除して屈服させることを望み、英国は逆にドイツがその地位を維持することを望み、米国は国際連盟による世界平和を求め、さらにイタリアは1915年に約束されていた領土を要求した。この条約は最終的に5月7日にドイツに通告された。これは極めて厳しい内容で、ドイツ側は同月29日に反対意見を提示したが全て拒絶されたため、条約への署名を拒否する。すると連合国側は6月17日、ドイツに対して5日間で決定を下すよう迫り、結局ドイツはこの「強制的命令」に屈服したのだった!

実際、この条約の条件は非常に厳しく、ドイツは戦争責任を認め、1870年に併合したアルザスおよびロレーヌを含む68 000 km2の領土と800万人の住民を失うこととなった。東プロイセンの一部が分断され、これによってポーランドは、有名な「ダンツィッヒ回廊」によって海への出口を得た。ドイツは、フランスから要求された賠償金として200億金マルクを支払わなければならず、鉱石や農産物の大半を失った。また植民地も奪われ、さらに軍事力は壊滅的な打撃を受けた。このような屈辱にさらされたドイツは、ひたすら報復を求めるようになる。こうして、既に去ったと思われた戦争の危機が新たに生まれたのだった…