ド・ゴール将軍はアンドレ・マルローにこう伝えた。「ヴェルサイユは、当然のこととして出来上がった。偉大なものについてけちけち言うのはよそう」 1962年から1966年まで、文化大臣として大トリアノンの修復を約束した。
1959年から1969年までフランスの文化大臣を務めたアンドレ・マルローは、1960年代、大トリアノンの左翼を迎賓館に改築し、「森のトリアノン」(トリアノン・スー・ボワ)翼棟に大統領の居室を設置する全面的な修復事業に取り組んだ。アンドレ・マルローとジャック・デュアメルの共著「Grandeur et misere du patrimoine(文化遺産に見る栄華と貧困)」には、大トリアノンの修復について以下のような記述がある。「これはかなり大変な仕事であった。なにしろ電話も暖房も台所も浴室もない建物に、現代的な快適さを設置しようというのだから。1963年、フランス共和国大統領のために一続きの居室を追加するよう命令が下ったため、その計画はさらに大掛かりなものとなった。その新しい居室はトリアノン・スー・ボワ翼棟に設置されることが決まった」
それ以来ド・ゴール将軍は、ポンパドゥール夫人のパリの邸宅であったエリゼ宮より、トリアノンに賓客を招くことが多くなった。「愛妾の邸宅より王妃の邸宅の方がよりふさわしい」というのがその理由であった。ド・ゴール将軍のこの発言は厳密に歴史を反映したものというより、冗談に近かった。1969年3月にここに滞在したアメリカ大統領リチャード・ニクソンが最後の賓客となった。ド・ゴール将軍が退陣するわずか1ヶ月前のことであった。