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アンドレ・ル・ノートル

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国王の庭園総監 (1613年-1700年)

造園家の「王様」で国王の造園家として知られるル・ノートルが、フランス式庭園の名を高めた。彼は、17世紀で最も美しい庭園を作り上げ、その最高傑作がこのヴェルサイユ宮殿の庭園である。彼はその素晴らしい才能により巨大な富を築きあげ、その名は世界中に知れ渡った。

1635年から既に王家に仕えていたル・ノートルは、ルイ14世の叔父であるオルレアン公ガストンの下で造園家としての道を歩みだした。16世紀から代々続く王家の庭園管理人の家に生まれたル・ノートルは、チュイルリー宮殿の庭園で修業を積み、1666年から1672年にかけてシャンゼリゼの広い眺望を前方に見晴らせるようその庭園を改造した。1656年から1661年にかけては、フーケの居城であるヴォー・ル・ヴィコント城で造園を行い、名声と財産を得た。

ルイ14世は、ル・ノートルがコンデ公爵のためにシャンティイ城の庭園に取り組んでいた最中の1662年に、彼をヴェルサイユに呼び寄せた。ル・ノートルは、ルイ13世時代の初期の姿のままの庭園において、宮殿のそばの南北の位置に2つの大きな花壇を設けた。彼はまた、東西にのびる大きな軸が果てしなく広がる眺望につながるよう整備した。北の地面の自然な傾斜はそのまま利用しつつ、それ以外は人工的に整備させた。

ル・ノートルはヴェルサイユにおいて造園という概念を洗練されたものにした。彼が手がけた庭園では、主要な散歩道が細い散歩道と交わって木立ちを囲み、格子細工とクマシデの生け垣が広大な緑の壁となって眺望を引き立て、斜めに走る散歩道や曲がりくねった散歩道が木立ちにぶつかり散歩する人を驚かせ、独特の装飾や噴水が植えられた樹木の厳密に図られた均衡とのコントラストをなしている。あらゆる水源を利用しつつ、ル・ノートルは、薄暗い空間(木立ち)とより明るい場所(花壇)を交互に取り入れて光と影の戯れを演出している。花壇と主要な散歩道には様々な彫刻や、剪定されたいちいの木が並んでおり、驚くような形に剪定されたそれらの木の彫刻によってヴェルサイユは正にトピアリー芸術の中心地となっていた。

主要な散歩道の左右対称性、そして幻想的な木立ち。こうした見事なバランスは、オルレアン公のサン・クルー城(1665年)、コルベールのソー城(1670-77年)、モンテスパン夫人のクラニー城(1674年)など、ル・ノートルの手によるその他の重要な庭園においてもかなり厳密に踏襲されている。ヴェルサイユの他に、ル・ノートルは王のためにサン=ジェルマンの大テラス(1669-72年)とトリアノンの庭園(1672-88年)を手がけた。1681年に貴族となったル・ノートルは、死ぬまで王の愛顧と、稀有なことではあったが、その友情を享受した。その代わりとして、彼は1693年に自分のコレクションの一部を王に遺贈した。