ペルピニャン出身のリゴーがパリにやってきたのは1681年のことであった。ル・ブランのアドバイスにより、彼は肖像画家となり、肖像画というジャンルを芸術の最高の高みへと導いた。彼は、王の弟である「ムッシュー」の肖像画を1688年に、翌年の1689年には、後に摂政となるオルレアン公フィリップの肖像画を描いて王と宮廷に注目される画家となった。ルイ14世はリゴーに鎧姿の肖像画を描かせ、それは1694年に完成した。しかし、この画家の名声を確かなものにしたのは、何といっても、成聖式の衣装を身に着けた王の肖像画であった(1701年作)。リゴーは、円柱の背景、襞のあるきらびやかな織物、厳粛なポーズ、鮮やかな色使いなどの道具立てを用いて、フランス君主制を正に象徴する盛装を身にまとう王のイメージを、ここで動かぬものにしたのであった。フランスやヨーロッパの君主たちはこうして19世紀まで自分の肖像画を描かせることをやめなかった。リゴーは1730年にはルイ15世の肖像画を描いている。
以来、リゴーの名声は頂点に達した。彼は、400枚近い肖像画を描き、後に王立絵画彫刻アカデミーの会長となった。宮廷の他にも当時の上流階級(ブルジョワ、銀行家、貴族)の肖像画も描いた。彼の名声はフランス国内にとどまらずヨーロッパの他の国々にも広まり、スペイン王フェリッペ5世(ヴェルサイユ)、ポーランド王オーギュスト3世(ドレスデン)の肖像画などを残した。注文を山のようにかかえていた彼は、肖像画の一部を他の者の手を借りて描かなければならなかった。ブルゴーニュ公爵の肖像画の背景となる戦闘場面はジョゼフ・パロセルが描いたものである(ヴェルサイユ)。作品の中には、ダンジョー侯爵の肖像画のように、あまりにも誇張されたものも見られる(ヴェルサイユ)。
リゴーは時には私的な雰囲気の作風を見せることもあった。ルーヴルにある二つの視点から描かれた画家の母親マリー・セールの肖像画などがそれである。手や布地の襞を描いた素描の中にも驚くべきものがあり、リゴーの洗練された作風と細部までのこだわりがうかがえる。二つの視点から描く肖像画への彼の嗜好は、ル・ブランとミニャールという偉大なライバル画家が向き合う構図になった、ほとんど挑発的とも見える肖像画においても見られる。
リゴーの才能は、いくつかの宗教画においても発揮されている。ヴァン・ダイクとシャンパーニュの影響を受けているとはいえ、リゴーはフランスおよびヨーロッパの肖像画において主要な役割を果たした画家である。