マリー=アントワネットのトリアノン離宮の著名な建築家で、王妃の村里とその英国式庭園の作者、彼はまたヴェルサイユとサン=ドニに新古典建築様式の美しい一群の建物を残した。
ナンシーに生まれたミックは、マリー・レクザンスカの父であるロレーヌ公スタニスラス・レシチニスキの元主席建築家としてヴェルサイユに登場した。1766年にスタニスラスが亡くなると、王妃はミックに仕事を託すべく彼を呼び寄せた。王妃はヴェルサイユに若い娘たちのための修道院(現在のオッシュ高校)を建設よう彼に依頼した。ミックは修道院の中央に新古典主義様式による素晴らしい礼拝堂を建設した。建築家パッラーディオに対する彼の傾倒がここにうかがえる。
マリー=アントワネットはロレーヌ地方出身の二人の共通の思い出のために、ミックを自分の元で働かせた。ミックは王妃のあらゆる気まぐれを満足させることを了承した。ヴェルサイユでミックは、1775年に王妃の内殿(正午の間、図書室、書斎、ビリヤード室など)の改修を開始したが、王妃の好みが変わるごとにその設計も変化した。1782年、彼は大理石の中庭に面した1階の、ルイ15世の娘ソフィー王女の居室だったところに、あまり目立たない新しい居室を作った。大居室には、ルイ14世風の装飾をコーニスのついた白天井でためらわずに覆い隠し、新古典派様式による貴人の間を作った。彼はまた、平和の間を居室に合併し、王妃の遊戯の間を作った。
マリー=アントワネットの離宮のトリアノンでは、王妃の自由奔放さが遺憾なく発揮された。王妃とその近しい人々のための小劇場、休憩のための見晴らし台、田園生活を味わうための、シャンティイのコンデ公の村里に擬した広い村里などが作られた。ミックは、画家ユベール・ロベールと植物学者クロード・リシャールの意見を取り入れ、ここにイギリス式庭園を造った。人造の洞窟、愛の殿堂、人工池や人工の川が、ルソー風の自然嗜好を反映した庭園に趣を添えている。
ルイ16世から王妃にサン・クルーの領地が与えられると、ミックはその丘に王妃の慈善活動のための病院を建設した。病院はその後改築され、今ではその礼拝堂だけが残っている。ルイ15世の娘の敬虔なルイーズ王女のために建てたサン=ドニのカルメル会修道院の礼拝堂もこの建築家の有名な作品の一つである。マリー=アントワネットに献身的に仕えたミックは1794年にパリでギヨチンに処された。